帰ってきた【こだま日記】

100kmマラソンで世界一を目指すランナー児玉雄介のブログです。

vol.20 陸上部~高校編~

 

 私は高校から陸上(長距離)を始めました。中学時代は野球部で、冬季だけ駅伝部の練習に参加し、ロードレースや駅伝に出場していました。野球を辞めた理由は、『野球より長距離の方がまだ適性がある』と思ったからです。そんな私の高校の陸上部時代(2002~2005年)を紹介したいと思います。標準タイムは当時のものとなります。

|入学前のスペック 

・3000m 9分46秒

 市内中学校大会にて土トラック、体操服で出した記録です。県大会出場の標準タイム(9分35秒)に遠く及ばないタイムでした。全国大会(標準タイム9分7秒)に出場するような選手は宇宙人だと思っていました。

 

|高校入学 

 千葉県の柏市立柏高等学校(略称:市柏、読み:イチカシ)に入学しました。当時は、全国駅伝に出られるかどうかというレベルでした。5000m14分台が複数いて、3000m障害で県トップクラスの選手もいました。 市柏は何と言っても吹奏楽が有名なので、そちらで知っている方もいらっしゃるかもしれません。

 

|顧問の先生 

 市立松戸高校を全国駅伝に導いた先生です。その時は2時間6分台で関東駅伝も制しています。中学校でも指導実績があり、柴田尚輝さんや町澤大雅選手を育てています。どっしりとした風貌で見た目が怖い先生です。長距離の競技経験はないとのこと。

|練習 

 ポイント練習という概念はなく、先生が言ったタイムでトラックやロードを走るというシステムです。どんな練習をするかは誰にもわかりません。1回の練習で10kmを目安に走っていました。集団から一人でも離れると練習がストップさせ、最初からやり直しです。布マスク着用、両手には500gのダンベルを一個ずつ持って走る時期もありました。 2年時の県駅伝1カ月前は、放課後に毎日3km~10kmのタイムトライアルをしていた時期も…。今思うと結構めちゃくちゃだなと思うことがありましたね(笑)。ただ、記録は全員伸びたので、直接文句を言う者はほとんどいませんでした。

|合宿 

 毎年夏休みに計2回、菅平高原で合宿していました。日程は4泊5日。初日は朝5時に学校近くの駅に集合し、先生が運転するマイクロバスに乗り込み菅平へ向かいます。宿舎の20km手前で降ろされ、集団走で峠を越え、ペンションに向かいます。午後も15km程走り1日目は終了。2日目からは朝4時起床で朝練習は7kmコースを3周か4周。午前練習も10km以上の集団走、午後も各自ではありましたが10km以上ジョグをすることを課せられました。 合宿で練習以上にキツかったのが食事です。毎食どんぶり飯5杯をノルマに喉元までご飯をつめこみました。上記のようにかなりの距離を走りこんでいるのにも関わらず、合宿終了後には体重が増えていました。

 

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|試合 

 試合前でもガッチリ調整した記憶はほとんどありません。レース中は、1周ごとに先生の檄が飛びます。私はレースよりも、走り終わった後の練習の方がキツかったです。着替える間もなく10km~15kmをマネージャー監視のもと走りました。レース結果によって練習量は変わるので、もちろん試合で手を抜くことはありませんでした。

 

|5000mベストタイム変遷


 1年 15分35秒 → 2年 15分00秒 → 3年 14分41秒


 初めての5000mのタイムは16分48秒でした。トラックでの走り方がわからず、全力を出せぬまま終わったことを覚えています。15分台は割とすんなり出ました。14分台は3年の10月に出しましたが、1回きりでした。2年時から15分一桁が続き、もどかしい日々を送りました。


|大学へ 

 2年時の関東駅伝1区10kmで30分17秒を出し、拓殖大学と某農業大学からスカウトがきました。拓大から入学金、授業料4年間免除という条件をいただき、「まずは最初の親孝行をしよう」と思い入学を決めました。加えて、当時拓大は元旭化成でオリンピック選手の米重修一さんが監督で、直接私に会いに来ていただいたことを両親が感激したのも入学の理由の一つになります。米重さんからは『君は長い距離に向いている。頑張れば、(名前が似ている)児玉泰介さんのようになれる』と言われたことが印象に残っています。 ※児玉泰介さん…元旭化成でフルマラソン2時間7分35秒の1986年当時の世界歴代3位の記録を樹立。現愛知製鋼監督。

 

|高校実績

 ・県駅伝 1年不出場、チーム3位  2年3区5位、チーム6位  3年1区2位31分01秒、チーム3位 

 ・関東駅伝 1年不出場  2年1区13位30分17秒  3年1区8位(南関東2位)30分39秒 

 ・トラック 2年千葉県新人大会5000m4位 

 ・ロード 牛久シティマラソン10km優勝、白井梨マラソン10km優勝 他

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2004年関東高校駅伝




|最後に 

 ここまで全てを読んで、練習に関しては「効率悪いな」「非科学的だな」「前時代的だな」と思われた方もいらっしゃると思います。私もまったく不満がなかった訳ではありません。 チームの目標は全国高校駅伝に出場することでした。もちろん生半可な覚悟と実力では目標は達成できません。当時は確かに県で常に上位争いをするような学校でしたが、強い選手は数多くはいませんでした。そういった中、県で勝つためには、効率ばかりを求めてスマートなことばかりをやっていては中学時代から3000mを8分台で走っていたような実力のある選手には追い付けないと考えたから、上記のような取り組みになったのではないかと思っています。関東高校駅伝優勝の経験のある先生なのでノープランは有りえないでしょう。以上、私の推測を先生に伝えたところ、「お前の考えはわかった」の一言のみでした。児玉雄介というランナーの礎は高校で作られたのは間違いありません。市柏以外に行っていたら、全く違う人生になっていたことでしょう。全盛期はこれから先のことだと思っていますので、私はまだまだ走り続けますよー。

 

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